言葉は凶器だ

お久しぶりです。

大学、バイト等で忙しく、ひさびさの投稿になりました。

 

嘘です。これは言い訳です。

どんな人もこのように「時間がない」「忙しい」とこじつけて、自分のやるべきことから逃げた経験はあると思います。こんな風に書いてる私もそうです。

だけど、このようにすることで罪悪感が生まれてしまう気がします。

 

今回は、このことではなく、私の異常な性格と、最近起きた嫌な出来事を書きます。

 

 

 

 

自分の性格

トラウマのイラスト(男性)

 

「どんな性格ですか?」

私は真っ先にこう答える。「ネガティブな人間だ」と。

 

同じくネガティブ思考な人はいると思うが、私は極度のネガティブ思考人間だと思う。

たとえば、恋愛。

相手の雰囲気や行動だけで、「この人は私のことを絶対好きにならない。」と思い込む。

他には、人間関係。

私は、ネガティブ思考以外にも「思ったことをすぐ発言してしまう」性格だ。

だからこそ、感じたことを即時的に発言し、相手の目の色が変わったりして、自分が何を言ってしまったのか気づく。そして、自分が何も考えずに発言し、相手を傷つけたことを引きずる。

 

これらがれっきとした、ネガティブ思考の例なのかは定かではないが、紹介した例はすべて私の体験談だ。

 

最近起きた苦しかったこと

私の≪ネガティブ思考≫という性格を踏まえ、最近私が悩んでいることを話したい。

飲食店と塾講師のアルバイトのことだ。

 

「なぜ私立大学1年生がそんなにバイトをしているのか?」

そう思うかもしれないが、今回はそのことは置いておこう。

 

まずは、塾講師のバイト。

2020年4月。某大手塾講師のアルバイトが正式に始まった。

しかし、コロナ禍で塾は休業要請の対象だった。

 

2020年5月。

やっと再開と思いきや、もちろん対面授業は不可能で、オンライン授業となった。

私は個別指導で小4~高3までの英語(小学生は、国算)を教えている。

時給は1200円~1300円程度。東京都の最低賃金が1000円を突破した今、

塾講師バイトは、「時給がいい」とは言えないかもしれない。

 

2020年6月。

事件は起きた。「事件」というと重いが、私にはそう感じられた。

上司から生徒への指導においての心得を注意された。

 

上司:「なんで○○くんに宿題出してないの?最終的には成績上げないといけないから、”かわいそう”とか思わないでちゃんと出して」

私:「・・・はい。」

 

○○くんは私立高校に通う男子生徒だ。塾から提供しているテキストではないため、直接的に彼がどのようなテキストを使っているのかは不明だった。もちろん、オンライン授業用アプリの【共有機能】で、彼の解いている問題を部分的に見ることは可能だが、すべては不可能だったのだ。

 

上司に注意を受けた後、ふと思い出したことがあった。

2020年2月。塾講師になるための研修を受けた際、指導の講師がこう言っていた。

「この塾は、成績アップを保証している塾ではない。一人一人にあった勉強をサポートする塾だから、生徒の成績に関しては重く考える必要はない。」

 

矛盾していた。それを思い出した途端、涙があふれてきた。

理由は自分でもわからない。体が何かを叫んでいるかのように涙がこぼれてきた。

 

 

 

次に、飲食店のバイト。

2019年12月から働き始めたので、ほとんどの仕事は覚えていた。

しかし、2020年4月から2か月間、コロナで休業。

2020年6月。

2か月ぶりのバイトでミスをした。

もちろん、2か月も空いていれば、ミスの1つや2つあるのはしょうがないことだろう。週に1度しかシフトを入れていなかったので、その次の週は、前の週にミスをしてしまった仕事は他の人にやってもらい、別の仕事を代わりにした。

またその次にバイトに来てみると、突然、社員が怒ってきた。

 

社員:「先週の△△の仕事、全然違うんだけど!!!」

私:「先週、私はその仕事はしてません。○○さんがやっていました。」

社員:(私が言い終わる前に割り込むように)「だとしても、間違ってるから!あとで教えるから!!!」

 

『言葉は凶器だ』

社員の直接的な表現の数々によって、私は関わっていないのにもかかわらず、犯人のようにされた。社員は、思うままに発した言葉かもしれないが、無実の人間が「もしかした自分が悪いのかもしれない」と強く感じてしまうような状態に追い込んだ。

本当に『言葉は凶器だ』

 

多角的に自分を見る力

2つのバイトでのことは、時系列的にみれば、同時多発的だった。

私にとっては負の連鎖のように感じた。

ここで私がネガティブ思考になってしまったから、涙があふれ来たのかもしれない。

「自分がいけないんだ」「何もかも自分の責任だ」「自分が悪い」

ネガティブ思考のループにはまると、簡単には抜け出せない。

 

そこで大切なのは≪第3者に話すこと≫だ。

もちろん、内情を知っている人でもいいが、できれば無関係の人の方がいいと思う。

なぜかというと、私が今こうして落ち着けたのも、第3者の全く内情を知らない人に打ち明けたからだ。

 

自分のコンプレックスや苦しかったことを話すのは億劫だ。

もう一度、あのつらい経験を思い出すのは、心が締め付けられるだろう。

でも、一度でいい。

その一度だけでいいから勇気を振り絞ってほしい。

何か変わるきっかけが掴めるかもしれない。

真っ暗な自分の心に一筋の光が差し込むかもしれない。

 

もし、打ち明けたことで少しでも心が軽くなったなら、

自分を第3者目線で見る訓練をしよう。

その視点で自分を見れるなら、他人のことも、自分の偏見や固定概念ではない見方で見れるようになると思う。

 

私はその真っ最中だ。

自分を客観的にみて、相手を客観的に見て、

全て自分の責任ではなく、相手にも何か理由があったのではないか?

物事はたった1つの要因だけで発生することはない。

複数のことが複雑に絡まり、形を成す。

 

苦しい時、つらい時は、泣いていい。

心の底から泣いて、一人でもいいから相談してみよう。

そしたら、いままで自分がみえなかった景色が見えるかもしれない。