高校生活が意味するものとは?

お久しぶりです。

 

先日、私は高校3年間の全授業を修了しました。ここで質問です。

 

「高校3年間が意味するものとはなんだろうか?」

 

あなたならこの質問にどう答えますか?

私は「わかりません。」と答えると思います。

面倒だからこう言ってるわけではありません。

 

義務教育でもない、大学生でもない、この中途半端な世代をなんと呼べばいいのでしょう?

 

“大人になるための準備段階”?

“大学の受験のため”?

“中卒は嫌だからとりあえず高校卒業するため”?

 

私が中学3年の時に同じ質問をしたら、今と変わらずわからなかったでしょう。今と変わらないのは、「わからない」という言葉だけです。私はこの3年間、表面上は変化なしかもしれないけど、「わからない」の“意味”が変わったのだと思います。

 

中3の時、「夢のJKライフだ!」と意気込んでいました。誰しもがそうでしょう。義務教育を終えこれからは今までの9年間とは違う生活になるのですからね。誰目線だよと思う人もいるかもしれません。“JK”は今や全世代の女性の花の世代といっても過言ではない気がします。

 

なぜ人々は高校生という短い3年間を大事にするのか?

 

"先生や友だちとの出会いを通して、人間としての在り方生き方を考え模索する時期を過ごすところが高校”

高校生活の意義 | 茨城県教育委員会

 

このサイトによると高校の意味がわかりやすく書いてあります。確かに人としての在り方を見つけるということが高校生活なのはわかります。しかし、それがマストではないと思います。これを読む限り、高校生活は楽しいし明るい場所だ、と言っているように感じました。ポジティブな感じで、まるで高校生活は夢の国だ(そんなことはありませんし、これは言いすぎですが)と主張している気がします。

 

一般的に高校という場所の定義は確認できましたね。

けれど私が経験した三年間はこんな定義にあるような表面的なことを学ぶだけの場所ではありませんでした。自分の位置を自分で認識するところだと思います。それはどういうことなのか?

人間関係です。

友達とは、一緒にいて自分が楽しめるような人ではないでしょうか?表面的には仲良くしていても影で悪口を言ったり、友達として付き合っていくうえで心許せる人が自分にとっての本当の友達や親友だと思います。“いじめ”が起こるのも高校生の間では多く、それにより自殺や自傷行為に及んでしまうほどのストレスを抱える人もいるはずです。というか必ずいます。私も友達関係で悩んだ時期はありましたし、自分に友達が少なくてすべてをさらけ出せるような関係の人がいなくて、それが自分のコンプレックスでもありました。嫌われるのがこわくて、周りの人たちに笑顔で接して、いつもなら思ったことをすぐ言ってしまう性格なのに、他人に便乗して合わせてみたり。。。

このような苦しいことも学ぶ時期が高校です。

楽しいこともありますが人によっては、楽しめないことのほうが多かった、という人もいると思います。高校生活がしんどくて学校に行きたくなかった時もあったでしょう。だからこそ大学ではこうしたい、就職して新しい環境に早く行きたいと、将来を見据え始める人が多くなるのではないでしょうか?

「同級生なのにこの人、幼稚だな」

私は周りの同級生を見てそう思うことがあります。同じクラス・学年・別の学校の人など、大人びているというのかわかりませんが、なんでこんなこともわからないんだろうとイラっとしてしまいます。わからない人は興味がないのです。気にかけていないのです。ほかのことにそれ以上に目が向ていると考えるようになりました。人はそれぞれ感じ方が違います。100%同じなどありえません。性格もそうです。

 

みんな違って、みんないい。

高校生活の話からだいぶ飛んでしまいましたが、これが私の高校生活の定義です。一人一人に自我が芽生えるようになる3年間で、人に合わせなくていいんだ、自分は自分でいいんだということを学びました。たとえクラスの中で自分が少数派の意見を持っていても、胸を張って主張できます。でも日本人はシャイですし、それは社会がその場の雰囲気が許しません。それはおかしいです。私の文章がわかりにくいですが、

みんな違って、みんないい。

ということが当たり前になる高校生活、社会がいつか成立することを願っています。